
妙喜庵 待庵
Myokian Taian(1582)
- 写真提供: 便利堂(許可なく複製すること厳禁)
- Text: Mari Matsubara
- Editor: Wakako Miyake
1582年造営。茶聖・千利休が考案したと考えうる唯一最古の現存茶室。豊臣秀吉は茶頭(さどう)であった利休を天正10年(1582)の山崎の合戦に同行させ、陣営にこの茶室を建てさせ、戦の労を茶で癒した。現在は京都府大山崎の〈妙喜庵〉へ移築されている。屋根は切妻造の柿(こけら)葺き。室内はわずか2畳だが、床の間の天井と壁を塗り回し、柱を見せない室床(むろどこ)にすることで、暗さのなかに奥行きが増し、結果、空間を広く見せている。壁はわらすさを表面に露出した野趣(やしゅ)のある仕上げ。天井は斜めの掛け込み天井、窓は3か所切られている。にじり口(身をかがめて入る入口)を茶室にもうけたのも、待庵が初例と言われる。日本で国宝指定を受ける三名席のうちのひとつ。